受講生からの感想を許可をいただいてここにご紹介します。
判断基準は自分の中にはなく、外に目を向けていた
チャカナの叡智を学ぶ前の私は、何をするにしても、とにかく人の目を気にして行動していました。これをしたら人からどう思われるか、誰かの迷惑になっていないか、人を不愉快にしていないか。判断基準は自分の中にはなく、見張るように自分の外に目を向けていました。
そういつも気を張っていて、人と別れた後はどっと疲れていました。心休まるのは一人でいるときだけで、誰にも真に心を開いてこなかったと思います。というのも、私は空気を読めず,気を抜いたら無意識に人を傷つけてしまう悪の存在だと思い込んでいたからでした。
初めて自分の生きづらさを因数分解
この思い込みに気づけたのは、チャカナの叡智の課題を通して、自分と半年間向き合ってきたからです。初めて自分の生きづらさを因数分解し、客観的に自分の状態を捉えることができ、今は納得感とともに少しの安堵と生き延びてくれた自分に対する愛おしさを感じ始めています。
課題を通して見つけたこの生きづらさは、リトリートで実際に手放すことができたと思います。
リトリート初日は、集合時間前から緊張し、昼食も喉を通らない程。仕舞には、リトリート中も腹痛に追われ、相も変わらず人の目を気にして気を張る自分の根深さを思い知りました。
新しい扉が開いたような、大きな一歩を踏み出した
しかし、北の火の儀式で自己定義の手放しを行ったとき、気づいたら、半日痛み続けた腹痛が不思議とおさまっていました。そこでようやく、私はリトリートで行う儀式の数々を少しずつ信じることができるようになりました。見えない世界を信じる強さも育むことができたと思います。
リトリートを終えてもうすぐ一週間が経とうとしていますが、帰宅してからは何とも日々の日常は脱力したような、少しの虚無感とともに過ごしています。先日早速お試しのような出来事が降りかかってきましたが、確実に以前の自分とは異なる選択肢を選べている自信があります。感覚としては、リトリート直後は変化をあまり感じませんでしたが、今は新しい扉が開いたような、大きな一歩を踏み出したような、そんなこれまでより一段高みからの景色を見る私がここにいるのを冷静に感じ始めているところです。
L, 30代, 関西
