受講生からの感想を許可をいただいてここにご紹介します。
理解できない、感じられない。戸惑い焦っていた日々。 自分の感覚を信じ受け入れることができた時、心地よい感覚が訪れました。
チャカナの叡智の学びは、理解できている感覚が掴めず、課題をこなしきれず、これでいいのか戸惑いながらの日々でした。実践や体験でも正解が欲しくなりましたし、自分が感じ取った事に自信を持てなかったです。
私は学び方、捉え方、考え方全ての意識を変えることから始める必要がありました。私だけ掴み取ることができていないのかもしれないと不安になりながらも続けることができたのは、日々の暮らしの中で学びにつながる気づきがあったからでした。「点と点が線で繋がる」あの感覚はなんともいえない嬉しさがありました。
リトリート中は考える暇もなかったのですが、帰宅後しばらくは自分の鈍感さにずいぶん落ち込みました。しかし、こうして振り返ってみると、いくつものことを思い出しました。そのどれもが私が確かに経験し感じたこと。そう思うとそのままを受け入れることに対してストッパーが外れたような感じがしています。「〜のような気がする」を素直に受け入れること。その心地よさ。これまで知らなかった感覚でした。
ほんとうの自分に気づき、受け入れた時のホッとした感覚。 私の変化を肌で感じてくれた家族が、今、学びに協力してくれています。
今までは自分の感情を掘り下げて感じること、受け入れることもしてこなかったし、物事の見方、受け入れ方は一方向からで、固定観念をもとに判断していました。
失敗例が増えるたびに自分にダメ出しをして自分を責める。自分を信じることができなくなっていました。弱さを見せてはいけないと思い人を頼ることも甘えることもとても苦手でした。自分を信じられなくなっていました。そして、こういった自分の現実を見ようとしていませんでした。学ぶ中でこういった気づきもありました。気づきは嬉しいです。
自分を直視するのは怖いけど受け入れることでホッとします。学びは一段ずつ順序に従って。こうして学ばせていただけたおかげで私は「私」を直視すること、あるがままを受け入れるという事の理解に一歩踏み出すことができるようになれたのだと思います。
チャカナの叡智、解らないからこそ続けて学びたいと思っています。少しでも掴みとりたいです。ありがたい事に、家族も私の変化を肌で感じると言ってくれ、学びを続ける事に協力してくれています。
学びのきっかけになった苦しみは家族間の問題でしたが、一つずつ良い方向に向かっていると感じられる今、そのきっかけをもらえた事に感謝しています。こう思えている事も嬉しいです。
kimi 40代 広島県