前回、私が母を失った悲しみを他の人に打ち明けられずに悩んでいたことをお話ししました。
その当時の私は50代。
悲しみを自分で解決することもできず、他人に相談することもできず、1人苦しんでいました。
私のように、決して若いとは言えない、ある程度の経験や知識を蓄えた歳になっても、悲しみという感情を自分の中で解決できず悩んでいるかたは多いと思います。
年を経たから、悲しみなんか感じないだろう、大丈夫だろう、自分で処理できるだろうと、他人は思うかもしれませんし、自分も思いこもうとするかもしれません。
でも、悲しみには年齢も、性別も関係ありません。
若い人は感受性が豊かだったり、それまで大きな悲しみの経験がないから、その感情の処理の仕方がわからないから、深く長く苦しむ。
感受性という意味では、女性もそのように周囲から想像されるかもしれません。
そして、年齢を重ねた男性は、その逆だから大丈夫──そのように単純なことではないのです。
こう考えてみてはどうでしょうか。
年齢を重ね、人生を長く過ごした方だからこそ、数々の、そしてあらゆる種類の悲しみを経験している。
しかも一つ目の処理もできていない、二つ目の処理もできてない、そしてそのまま層を成して無数に蓄積しているとしたら……。
数々の荷物が片付けられずに、広さの限られた自分の部屋に山積みになっているところを想像すれば、その部屋の主が軽くパニックになることは想像に容易いはずです。
これが自分の脳の中、心の中、魂の中で起こっていたら、苦しくないはずがありません。
そうです、悲しみとは若い人や女性だけがとりつかれるものではないのです。
著者:Y.S.